インド最大級の祝祭ディワリは「光の祭り」として知られ、街や家が無数の灯りで彩られる。
しかしディワリの本質は、華やかさ以上に「家族と共に過ごすこと」にある。
なぜこの祭りは家庭中心なのか。
本記事では、叙事詩・宗教思想・家族制度・経済活動がどのように結びつき、ディワリを“家族の祝日”にしたのかを文化人類学の視点で解説する。
ディワリが成立した歴史的背景
叙事詩が“帰還と再会”を祝う物語を生んだ
ディワリは、正義の王ラーマが長い放浪の末に都へ帰還したことを祝う物語と結びつく。
人々が家々に灯りをともしたのは、「家族が再びそろう瞬間を迎えるため」という象徴行為だった。
この“帰る場所=家”という物語構造が、ディワリを家庭中心の祝祭にした。
農耕社会の収穫期と家族再集結
ディワリは多くの地域で収穫期と重なる。
農耕社会では、
- 収穫の成功
- 一年の区切り
を家族で分かち合う必要があった。
家族全員が集まり、労をねぎらい、来年の繁栄を祈る ことが祭りの核心となった。
富と家内繁栄を祈る宗教観
富と繁栄の女神ラクシュミーを迎える日でもあり、 女神は“家”に宿ると信じられている。
そのため、家族がそろい、家を清めること自体が祈り となった。
ディワリの特徴(灯り・儀礼・家族行動)
ディヤ(灯明)が家に灯される理由
小さな油灯ディヤは、
- 闇を照らす知恵
- 無知の克服
- 希望
を象徴する。
家の入口や窓辺に灯すのは、善きものを家庭に招き入れるため であり、個人ではなく“家単位”で行う儀礼である。
家族全員で行う大掃除
ディワリ前の大掃除は、単なる清掃ではなく 心身と空間の浄化儀礼。
家族が協力して家を整えることで、「家族という単位が再確認される」構造になっている。
贈り物と食事の共有
ディワリでは、
- 甘い菓子
- 新しい服
- 小さな贈答
を家族内で分かち合う。
これは 富は共有されてこそ意味を持つ というインド的価値観の表れである。
ディワリが生むマナー・タブーの背景
家族と過ごさないことへの違和感
ディワリに一人で過ごすことは、「家族とのつながりが弱い」と見なされがち。
仕事より家族を優先することが、道徳的に正しい選択 とされる。
家を暗くしたままにしない理由
灯りをともさない家は、
- 繁栄を拒む
- 不運を招く
と考えられる。
家族が協力して灯りを準備すること自体が、儀礼の一部である。
喧嘩や否定的感情のタブー
ディワリ期間中は、
- 争い
- 否定的な言葉
を避ける。
新しい一年を迎えるにあたり、家族関係を清浄な状態に戻す 必要があるためだ。
他国との比較でわかるディワリの特徴
他の宗教祝祭との違い
クリスマスと同様に家族行事だが、ディワリは 宗教儀礼・経済活動・家庭行動が完全に融合 している点が特徴。
信仰と生活が切り離されていない。
地域差が生まれる理由
- 北インド:ラーマ帰還の物語が中心
- 西インド:商業新年としての性格が強い
- 南インド:悪を倒す神話が強調
物語は違っても、「家族が集う日」という核心は共通している。
まとめ
- ディワリは「光」以上に「家族の再結集」を祝う祭り。
- 家を清め、灯りをともす行為が家族単位の祈りとなる。
- 宗教・農耕・家族制度が融合し、家庭中心の祝祭として定着した。

